音楽茶房「あすなろ」が蘇る―高崎市歴史民俗資料館企画展
高崎市民にとって「あすなろ」といえば、1957~1982年(昭和32~57年)にかけて営業していたクラシック音楽の名曲喫茶として有名だ。最近になって高崎経済大学生の手によってコミュニティカフェとして復活し、鞘町で営業しているが、1963年(昭和)までは本町で営業していた。高崎市歴史民俗資料館では、この本町時代の音楽茶房「あすなろ」について紹介する企画展を、2018年5月27日まで行っている。
本町時代の「あすなろ」は、店舗としても様々な意欲的な取り組みを仕掛けていた時期であり、のちに鞘町に移転した後よりも特徴立った経営が行われていたようだ。しかし、現存する資料は少なく、当時の様子を知ることは難しい。今回の企画展では、店の入口や座席、ステージなどの様子が再現されており、店名の由来でもある「あすなろの木」も入口に飾られている。
高崎の音楽文化の発信拠点として
「あすなろ」はもともとクラシック音楽の音楽喫茶として誕生し、レコードによる音楽鑑賞が中心だったが、室内楽が演奏できる舞台も設置され、演奏会も開かれた。午前中にはグレコリオ聖歌などが流されていたときもあるといい、ちょうど「あすなろ」ができたころに群馬交響楽団で指揮をするようになった若き日の小澤征爾も、これに聴き入っていたという。
もちろん、群馬音楽センターの建設運動が始まった時には、そのための募金活動を率先して行ったり、「あすなろ報」(後述)で群馬交響楽団や群馬音楽センターについての情報を積極的に発信したりして、群馬音楽センターの建設については大きな役割を果たしたと言えるだろう。
あすなろの「鏡」、あすなろ報
ところで、今回の企画展の目玉は、「あすなろ」が発行していたミニ新聞である「あすなろ報」だ。会場では、壁一面にこの「あすなろ報」の内容を抜粋したものが展示されている。これを見ると、「あすなろ」が単に名曲を聴くための音楽喫茶だけではなく、音楽会を企画したり、詩を募集して紹介したりと、「あすなろ」側も積極的に働きかけを行い、文化の交流拠点として機能していたことが分かる。
「あすなろ報」は、喫茶店の開店1周年の頃に「研ぎすまされた自らの鏡にしよう」(第1号より)として発刊されたものであるが、日々の喫茶店の様子、イベント、コーヒーについての話題、群馬交響楽団に関する話題のほか、喫茶店利用者の忌憚のない声など、当時の喫茶店の様子が垣間見え、まさにあすなろの「鏡」といえるだろう。
「あすなろ報」には季節の詩や、少し長めの投書なども掲載されており、その中で読者同士の議論が行われたりもしている。これは今のソーシャルメディアを眺めているようだ。時には激しい芸術論争が繰り広げられたりして、「炎上」さながらの論戦が繰り広げられたりしたこともあったようだ。
「あすなろ」は音楽に限らず、当時の高崎における芸術や文化の交流・発信拠点としての地位を確立していたことは間違いないだろう。そして、当時の高崎にこれだけエネルギッシュに文化芸術活動を推進してきた人々がいたことを、忘れたくないものである。
(取材・文・写真/藤本理弘)