旧上野鉄道鬼ヶ沢鉄橋――120周年を迎える軽便鉄道の跡
富岡市西部の南蛇井(なんじゃい)地区に、古い鉄橋が人知れず残っている。この鉄橋は120年前、上野鉄道(現在の上信電鉄)開業時のものが現存しており、富岡市側からは近づいて見学することができる。この鉄橋は、富岡市と下仁田町から重要文化財に指定されている。山の中ではあるが、電車でもマイカーでも比較的行きやすい場所だ。
120周年を迎える歴史ある鉄橋
高崎から富岡を経由して下仁田を結ぶ上信電鉄は、1897年(明治30年)の開業で、日本の私鉄としては最古の部類に入る。2017年で120周年を迎えるこの鉄道は、大手私鉄のうち、これより早く開業している鉄道が阪堺鉄道(現在の南海電気鉄道、1885年開業)と川越鉄道(現在の西武鉄道、1894年開業)しかないことを考えると、いかに歴史のある鉄道であるかが分かる。
この鉄橋は、千平(せんだいら)駅から下仁田駅方面に少し進んだ場所にあり、富岡市と下仁田町の境界を流れる大谷川(鬼ヶ沢)を渡るために架けられたもので、開業したその年に架けられたものがそのまま残っている。上信電鉄は当初、軽便鉄道の上野鉄道として開業したため、レールの幅が狭く、車両も小型であった。1924年(大正13年)に普通鉄道に改築・電化されたが、軽便鉄道の路線をほぼそのまま改築したため、軽便鉄道時代のものはほとんどが失われている。しかし、この鬼ヶ沢鉄橋の付近は改築されず、すぐ下流側を通過する新線に切り替えられたため、そのままの状態で放置された。
鬼ヶ沢鉄橋は、30年足らずで鉄道橋としては使用されなくなったものの、しばらくは人道橋として使われていたようで、手すりなどが取り付けられているが、それ以外は開通当時の形のまま残っている(現在では鉄橋付近は立入禁止になっている)。
鬼ヶ沢鉄橋の実物を近くで見ると、写真で見た印象よりも細く小さく、かわいらしい。橋桁は幅1m、長さ10mという。軽便鉄道時代の軌間(線路の幅)は76.2cm(30インチ)だったので、この幅でも充分に収まったのだろう。案内板によれば、この橋桁は輸入された鉄材を使用して、国内で製造されたものだという。それがレンガと椚石※1で作られた橋台にしっかりと支えられている。谷底まで10m以上ととても深く、見えない谷底から水の流れる音が聞こえる。
※1 椚石(くぬぎいし)とは、下仁田町の隣にある南牧村の椚地区で採れる石。
上野鉄道時代の路盤
鬼ヶ沢鉄橋の前後には、線路が通っていた路盤も残っている。鉄橋の向きから見て、線路は崖すれすれのところを通っていたようだ。というよりは、崖を削って線路を通したと言った方が正しいのだろう。その崖も、長い年月を経てずいぶん崩れてきており、線路が通っていたであろう路盤の大部分は、すでに土石で埋まってしまったり、木が生えてしまったりしている。
軽便鉄道を通した当初は、鉄橋の長さを最短にするために、あえて崖沿いのルートを選び、谷幅が狭い場所に鉄橋を設置したのだろう。しかし、普通鉄道に改築した時には鉄橋を建設する技術も進歩していたため、崖から離れていて崖崩れの影響が少ない下流のルートを選んだのかもしれない。
開通から30年足らずで一線を退いた後も、長年の風雪に耐えてきたかわいらしい鉄橋を見ながら、国内屈指の歴史を持つ過去の線路に思いをはせるのも面白いのではないだろうか。
【行き方】
公共交通の場合は、上信電鉄千平駅から徒歩約1.2km。
自動車の場合は千平駅を目印に、県道195号(南蛇井下仁田線)に行く。
千平駅から南に200mほど行くと県道195号と交差する。その地点にある踏切で上信電鉄を渡る。
踏切を渡ると県道195号は細くなり、300mほど進むと、突き当りになるが、県道に従って左折する。県道はさらに細くなり、500mほど進むと、左側に「上野鉄道大谷川鉄橋」と書かれた手書きの道標がある。自動車の場合は、道標のすぐ手前の左手に車が停められるところがある。
道標があるところを左に下りていくと、200mほど(約3分)で鬼ヶ沢鉄橋に到着する。
なお、県道195号をさらに直進すると下仁田に出られるが、自動車のすれ違いが困難な細い道が続くため、このような道路に慣れていない人は避けたほうが良いかもしれない。