(藤岡) 平井金山城を歩く――関東管領上杉氏の詰城

(2017年6月18日)

 藤岡市西平井にある平井城は、室町・戦国時代に関東管領の上杉氏が拠点とした城として有名だ。その南西側の山の上に、金山城と呼ばれるもう一つの城がある。平井城の詰城(つめじろ)、つまり、平井城に攻め込まれたときに、籠城して戦うための要塞であったと考えられている。

 金山城に関する記録はほとんど残っていないが、現地には山城の地形や、一部の石積みなどが残っている。現在は城址公園として歩道が整備されており、全域を散策することができる。

※群馬県内では太田市にも金山城があるため、この金山城は「平井金山城」または「平井詰金山城」などと呼ばれている。本記事内では「金山城」と表記している。

関東管領上杉氏と永享の乱

 関東管領は、室町時代に関東支配の拠点であった鎌倉府の長官、鎌倉公方の補佐役であり、その多くを(山内)上杉氏が務めていた。しかし、鎌倉公方足利持氏の時代に、鎌倉府が室町幕府と対立するようになり、室町幕府方であった関東管領の上杉憲実は、永享10年(1438年)に平井城に退去した。足利持氏はそれから平井城を攻めたが、室町幕府などから援軍を得た上杉方の勝利に終わり、鎌倉府は一時滅びた(永享の乱)。それから天文21年(1552年)に平井城が北条氏康に攻め落とされるまで、100年以上にわたって上杉氏の関東支配の拠点になったという。その後、上杉氏及び関東管領を継いだ長尾景虎(のちの上杉謙信)が平井城を奪還したものの、関東の拠点を平井城から厩橋城(のちの前橋城)に移したため、平井城は廃城となった。(案内パンフレットより)

 金山城はその平井城の支城と考えられているが、金山城そのものに関する記録はほとんど残っていない。ただ、平井城は平地にあるため、籠城戦になった際には金山城が使用されたと考えられている。

金山城址を歩く

 金山城址公園の入口は、藤岡市立日野小学校の斜め向かいにある。駐車場と共に、案内板、トイレ、飲料の自動販売機などが設置されている。城址公園内には、トイレも飲料水もないので注意しておこう。入口のところで竹の杖を借りることができる。特に前半(物見台跡まで)は急峻な坂道が続くので、杖を借りておいた方がいいだろう。
 また、滑り止めが付いた登山靴などを履いておくと歩きやすい。急峻な坂道に落ち葉が積もっていることがあるためだ。

 杖を借りて歩き始めると、さっそく林の小道を40分くらい歩く。距離は700mほどだが、上る一方の急峻な坂道だ。金山城を歩く際に最もきついのはこの部分で、これを上り切れば、比較的緩やかな道ばかりだ。この上り坂は城の正式な入口ではなかったようだが、昔の兵士たちは重い武器や装備をつけて攻め登ったのだろうから、当時の兵士の体力は驚異的だ。焦らずにゆっくりと登っていこう。

 やがて、監視のために使っていた物見台跡に着く。物見台は周りに石段や石垣が残り、当時の面影を少し残している。本来は見通しの良い場所であるはずだが、現在では周囲に木が生い茂っており、夏場は景色が木々の間からわずかに見えるだけだ。

 物見台から先は比較的平坦な道になるので歩きやすく、堀切(敵の侵入を防ぐために掘った谷)や虎口(城や曲輪の出入口)などを体感しながら、三の丸跡、二の丸跡を通って本丸跡まで行く。それぞれ説明看板が設けられていてわかりやすい。

 説明看板によると、本丸は永享10年(1438年)の永享の乱において、2ヶ月ほど籠城が行われた際の本陣になったと考えられているそうだ。跡に建物は残っていないが、石垣が残っていて下から見ることができるようになっている。この付近には東屋も設置されており、雨や雷の際に避難できるようになっている。

 本丸の先には、高崎市吉井町の牛伏山にある一郷山城の展望台が見通せる場所もあるが、訪れた夏の時期には木々が生い茂っているため、木々の間から見えるだけで、写真に収めることはできなかった。

 過去にこの城に出入りするために使われた大手門は、ここから北側の尾根に沿って進んだ先にある。途中にある櫓門跡は、門の基礎となる石積みが残っており、金山城内で特に保存状態が良い場所だ。一方、さらに北側にある大手門跡は土中に埋められている。しかし、その上にあったと考えられる大きな櫃岩(かろうといわ)は、当時の面影を残している。その北側はゴルフ場になっており、往時の正門であった大手門側から城に入ることはできないが、ここから尾根に沿って本丸方面に戻ると、当時の人々が本丸に入っていく経路を再現することができる。

 また、「井戸曲輪」と呼ばれる曲輪には、当時の井戸(給水施設)も発掘・復元されている。山の上なので湧水が十分ではなく、水を運んできて水場として使用したともみられている。
※現在は水が湧いていない。

 ここから下山できる歩道も整備されている。700mほど歩いて下山すると鈩沢という地区に出るので、そこから道路を1kmほど歩くと、駐車場に戻ることができる。一方、山の上を戻って駐車場に戻ることもできる。必ず駐車場に戻り、杖を返しておこう。

 以上、全体を散策するのには2時間ほど。最初に触れたとおり、きつい上り坂は最初のところだけで、その後の部分は平坦または下り坂だ。時には運動を兼ねて、数世紀前の歴史に思いを馳せてみるのも楽しいのではないだろうか。

【行き方】

 自動車の場合は、上信越道藤岡インターチェンジから車で約8.5km(約15分)。県道13号(前橋長瀞線)、県道175号(上日野藤岡線)を下日野方面へ。藤岡市立日野小学校の斜め向かいに駐車場がある。

 公共交通の場合は、上信観光バス小柏線(藤岡~上平線)の日野小学校前下車。

(取材・文・写真/藤本理弘)


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