カスリーン台風から70年を迎えて

(2018年6月10日)

 静観な山奥で、川の水音だけがよく聞こえる。ここは、70年前の秋に台風『カスリーン』によって被害を受けた赤城沼尾地域。

 過去の資料だけでは心に伝わらないものがあったので実際に足を運んできた。

 山道を進むと、当時のカスリーン台風から50年を迎えた際に建てられた石碑を見つけた。そして、たまたま近くにいたお婆さんに当時の話を聞くことができた。

 

「私は、まだ幼稚園の頃だった。昔、この幅の半分以上は窪んでいない平らな土地だったんだ。あんときの台風で、この周辺は土砂、家屋もろとも濁流に流された。だから今は工事されて幅のある窪地になったんだよ。」

     上流をみると静かな山が広がる。今自分が立っている場所で、豪雨と共に土石流が発生していたんだと考えるととても怖くなった。

 

 他にも昭和33年に敷島青年学校の職員、指導員、生徒等の協力で建てられたと言われる慰霊碑があった。

 青年学校の用務員をされていた永井喜一さんは、カスリーン台風が接近する際に学校警備に当たっていたとのこと。台風当時、永井さんは学校前に住む男の子と女の子の手を握りしめながら濁流にのみこまれ消え去ってしまったと言われている。

  

 今年でカスリーン台風から70年が経つ。当時の天気図を入手した。カスリーン台風は「雨台風」と言われている。秋雨前線に向かって台風が暖かく湿った南風を供給し続けた。その結果、関東は秋雨前線による降雨が強化されたうえに、台風本体による降雨が加わり大雨になったようだ。

 この先、自分の人生をかけて何ができるだろうか。ひとりの力には限界がある。だからこそ、たくさんの人から力を借りて群馬に住む人達の生活を守る、支える手助けができたら嬉しいです。

 最後に、昭和22年に発生したカスリーン台風によって亡くなられた方、被害を受けられた方、心よりご冥福をお祈り申し上げます。(2017/10/7)

写真・文/群馬 気象屋 猿谷勇貴(気象予報士)


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